日常の中で無理が通れば道理引っ込むと思うこと
現在社会において、ストレスを感じていない人なんか絶対にいないと思う。
会社での、人間関係のストレス
家庭での子育てや夫婦間のストレス
幼稚園、保育所~各学校でのいじめ、勉強が分からない等のストレス
借金問題のストレス
等々、一人一人、十人十色、様々誰もが何らかの問題を持っている。
そんな中で「無理が通れば道理引っ込む」と感じてしまうことが多い。
例えば、明らかに間違ったことをしているのに、その人が上司とかの場合、「何が悪いねん?」と言われてしまうと、もうなにも言えなくなる。
ただ、そんな事をし続けていると、会社の信用を失いかねないのも事実である。
他にも、学校でいじめられている子をかばおうと、「やめとき」などと言うと、「なんやねん、次お前いじめるぞ!」となる。
そのせいで、何も言えなくなる……
いわゆる「ジャイアン」である。
こんなことがまかり通るこのご時世は、なんとも世知辛いものだと感じてしまう。
「無理が通れば道理引っ込む」
意味としては、
道理にかなわない不正が平気で通用するようになれば、道理にかなった正しいことが行われなくなるということ。
簡単に言えば、間違ったことをしていると、なんでもありになってしまうということ。
類義語には、「石が流れて木の葉が沈む」などがある。
対義語としては、「道理に向かう刃無し」がある。
調べたところ英訳は
Where might is master, justice is servant.
とあった。
「無理に通れば道理引っ込む」というのは誤り。
先人たちが作ったことわざって凄い!