ぱぱやのブログ

日々思っていることや、出来事、クレームetcなどを書いていく予定です

日常の中で無理が通れば道理引っ込むと思うこと

現在社会において、ストレスを感じていない人なんか絶対にいないと思う。

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会社での、人間関係のストレス
家庭での子育てや夫婦間のストレス
幼稚園、保育所~各学校でのいじめ、勉強が分からない等のストレス
借金問題のストレス
等々、一人一人、十人十色、様々誰もが何らかの問題を持っている。


そんな中で「無理が通れば道理引っ込む」と感じてしまうことが多い。
例えば、明らかに間違ったことをしているのに、その人が上司とかの場合、「何が悪いねん?」と言われてしまうと、もうなにも言えなくなる。

ただ、そんな事をし続けていると、会社の信用を失いかねないのも事実である。


他にも、学校でいじめられている子をかばおうと、「やめとき」などと言うと、「なんやねん、次お前いじめるぞ!」となる。
そのせいで、何も言えなくなる……
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いわゆる「ジャイアン」である。
こんなことがまかり通るこのご時世は、なんとも世知辛いものだと感じてしまう。


「無理が通れば道理引っ込む」
意味としては、
道理にかなわない不正が平気で通用するようになれば、道理にかなった正しいことが行われなくなるということ。


簡単に言えば、間違ったことをしていると、なんでもありになってしまうということ。


類義語には、「石が流れて木の葉が沈む」などがある。

対義語としては、「道理に向かう刃無し」がある。

調べたところ英訳は
Where might is master, justice is servant.
とあった。

「無理に通れば道理引っ込む」というのは誤り。


先人たちが作ったことわざって凄い!
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